「恋はするものではなく落ちるもの?」

おはようございます。
朝から仕事用のパソコンが壊れてパニック中の桜井です。(只今、現実逃避中)
私たちは喜怒哀楽のどの感情が湧き上がっているか分かりますよね。これを認知と言います。
例えば買い物をしていたら万引きの疑いをかけられたら怒りと不安が湧き上がるでしょうし長年の苦労が実り思いが実現した時は歓喜の声をあげるでしょう。
私たちは様々な感情を体験したとき、その体験に対して怒り、幸福感、悲しみ、嫌悪感、恐れ、恥辱感、罪悪感、嫉妬、羨望、愛と言う感情のラベリングを行なっています。
このラベリングにより自分の感情と環境を把握したり、共通言語を持つことで他人と共感したり情報を交換したりできるのです。
ここで問題なのはその感情を引き起こす何らかの外的な原因があると信じていることです。
確かに分かりやすいのですが感情の喚起は身体の生理活動でも引き起こされるのです。
ダマジオは感情と情動を分けるべきと主張しています。
身体変化による情動と主観的体験する感情です。
情動とは個体の生理反応(自立神経活動、内臓活動)と行動変化を含めた外部へ表出される運動の総体であり、それに対して感情とは個体の心理経験の一部であるとしています。
例えば吊り橋効果と言う理論があります。
これは吊り橋のドキドキが一緒にいる人への好意だと勘違いすることですよね。
これは恐怖に対する身体的変化である情動を愛と言うラベリングをしたことで起こった認知の歪みと言えるます。
恋して胸の奥が締め付けられる感じなのか恐怖による動悸なのかを区別をすることなど周りの環境や出来事などを冷静に考えれば分かりそうなものです。
しかし、こんな理論が成り立つのは情動が本能に近く自律神経活動を伴うと冷静な思考を持てなくなるからです。
振り上げた拳をおさめるのは難しいと言われるのも交感神経系が優位に働き興奮状態にあると思考することなど不可能ですから無理もないことなのでしょう。
恋はするものとは思考が勝っていますから駆け引きであり楽しいかもしれませんが落ちたらそれは情動に変わった証拠です。
「全てを投げ打ってでも」と言うのは情動がなせるわざなのかもしれませんね。

横浜 青葉台 さくら歯科クリニックあおば 院長 櫻井直樹
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